一分の救い(ノンフィクション風の物語)⑩

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こうなると飯屋のオヤジが無口なのも有り難かった。
こちらは数カ月間に渡り食欲もないので、私が店を訪れるタイミングは、メンタル的にどうにもならないことが生じて、夜の街に出ざるを得ないときだったので、真っ青な顔をしていたり、焦点が定まらなかったり、逆にのぼせて顔が紅潮したりしていたとおもう。
それほど混んでいない深夜の飯屋でひとり壁に向かって座っている時間はほんの数パーセントかもしれないが、やすらぎをくれた。

だが、母の病状は夜中でも目を離せないことが多々あった。
足をマッサージしている間に少しでも眠ってくれればよいが、うなされ方がひどいときは、半ば暴れてしまうこともある。
こちらも仮眠も取れないような状況が続く日もある。
そんなときは、少しの間を得て「なにか食べなければならない」との一心でこの飯屋に向かった。
店に入るときも注文するときも虚ろな感じだったと思うし、ときには手足の震えが止まらない。

そして母の病状が芳しくなかったが、いたたまれず店に向かったある日。
その店では、麦茶と水を入れた大きなヤカンと茶碗が壁際に置いてあって、客が自由に飲んでいた。
いつもカウンターのオヤジに料理を注文したあと麦茶を注いで壁の席に向かっていたが、この日はそれも忘れて席に座り、壁に向かって気づかれぬように泣いていた。
オヤジにサバができたといわれてうつむきながら料理を取りに行って、味のわからぬ飯を胃に流し込んでいた。

すると、背後に気配を感じた。
オヤジが他の人の食器を片付けに来たのだろうと振り向きもしなかったが、横から麦茶の入った茶碗がサバの皿の隣に静かに置かれた。
そして、そのまま気配は遠ざかっていった。
そのときに、客は私ひとりでオヤジが厨房から出てわざわざ麦茶を私に運んでくれたのだとわかった。
顔を見せたくないので、振り向くこともせず、礼もいえなかった。

しかし、直後に私の震えが止まった。
ついでに涙も止まった。
料理の味も戻ってきた。

「自分を気にかけてくれている人がいる」

今考えれば、タクシーやトラックの運転手しかこない深夜の飯屋にふらふらと訪れる学生は珍しかったに違いない。
近くに総合病院もあるので、オヤジは私の境遇を察知してくれていたのだと思う。
注文と値段のやり取り以外は会話もしなかったが、この麦茶のありがたみは忘れることができない。

客観的に見ればセルフの飲み物を店員がサービスで運んだだけの出来事である。
何もないときであれば「あたりまえのこと」をしない飯屋を「サービスが悪い」と感じていたかもしれない。

そのときまで、正直、私は病院を恨んでいた。
母親を窮地に追い込んでいるのは「するべきことをしないで、誤った手術をした」病院の責任だという大きなフィルタをかけていた。
だが、このときを境に病院の体制やこの境遇や母に接している人々をもっと冷静に見てみようという気持ちが湧いてきた。

会計を済ませると飯屋のオヤジはその日もいつもとかわらず「まいどっ!」とだけいった。
(つづく)

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