水泳帽に黒ライン3本(感動的想い出シリーズ)

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小学校の頃夏休みはできるだけ学校のプールに通っていた。
とてもおもしろく教えてくれる先生がいて助かった。
とにかくこの子は「おもしろくなければやらない」という大人からみればクソ憎たらしい子どもだったので、この出会いは、カレーライスと福神漬け、あるいはカルビとサンチュの組合せくらい重要であった。

また、定期的に進級試験があって、水泳帽にラインが増えていくのも励みになった。

今でも、級の基準を憶えている。
7級・・・ラインのない帽子
6級・・・白ライン1本(5m泳げる)
5級・・・白ライン2本(10m泳げる)
4級・・・白ライン3本(25m泳げる)
3級・・・黒ライン1本(25mを規定タイム以内に泳げる)
2級・・・黒ライン2本(50m、25mを違う泳ぎで規定タイム内に泳げる+潜水10m)
1級・・・黒ライン3本(100m、50mを違う泳ぎで規定タイム内に泳げる+潜水15m)

時は、1960年代後半~1970年代前半。
今のように、スイミングスクールなるものに、普通の小学生が通う習慣など全くない時代で、教えている先生だって水泳の専門家ではない。
なので1年生から6年生まで学校のプールにせっせと通っても、1級を取得できる子は数えるほどしかいなかった。
ましてや、私などは九十九里の海辺で育った「(古式泳法の)ノシならできるぞ」といばっていた昭和3年生まれの父に超我流な泳ぎを荒波の中で教わっていただけだった。
しかし、そんな私を断じてナメてはいけない。
そりゃあ、低学年からうるさいだけで何の取り柄もなかった私だが、5年生の最初の試験で1級を取得するという快挙を成し遂げたのである(この際「そんなのは快挙でもなんでもない。笑っちまうぜ。へっ。」とかいう苦情は受け付けないものとする)。何しろ、そのとき教えてくれていた先生史上、最年少での1級合格だったのだ(この際、その先生がその学校に赴任して何年目だったかも無視するものとする)。
6年生の最初のプールからただひとり黒ライン3本の内山くんは意気揚々としていた(この際「同級生から見たら、そんなやつはうざいだけだ。」という意見や同級生の女子から「内山くん、すごーい」とかの言葉は一切聞かれなかったという事実もなかったことにする)。

だが、この1級取得には、これまた私史上、涙なくしては語れない苦悩があったのである。
それは、何を隠そう5級の試験のときに始まった。
(続く)

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