一分の救い(ノンフィクション風の物語)④

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母の肝癌の手術は主治医の話によると6時間ほどの手術ということだった。
家族にとっては大手術であるが、当時の外科的手術としては、それほど珍しくないという説明を受けた。
午前中から始まったが、その間、家族はただ待っているしかない。
食事をするにも喉を通らないし、もはやこれといって会話のネタもない。
かといって、病院を抜け出すこともできないしその気にもなれない。
父も兄も自分も、ただただ時間のすぎるのを待っていた。

こんなときの心理状態とはおかしなもので、6時間位といわれたら、その時刻に目覚まし時計がなるように手術が終わるか、報告がはいるものと思い込んでしまう。
いまかいまかと6時間が経過するのを待っているわけだから無理もない。
しかし、6時間が立っても7時間がたっても病院側からは何のアプローチもなかった。
流石に「様子を聞いてみよう」ということになり、看護師に聞いてみた。
後に考えれば当たり前のことだが、廊下を歩いている看護師に聞いてみたところで、まともな応えが返ってくるはずもない。
一応「確認してきます」と詰め所に戻り、戻っては来たが「何かありましたらお呼びしますのでお待ち下さい」というありきたりの返答しか得られなかった。

8時間、
9時間、、
10時間、、、
何の連絡もない。
その後は、どれほど待ったか記憶していないが、おそらく12時間後くらいに主治医が私たちの目の前に現れた。
のぼせた顔で駆け寄る自分たち家族に、主治医は興味のない顔をしながら「癌は取り除きました」とだけいった。
いろいろと質問をする家族が満足する返答は得られなかったが、医師の立場も慮って母の麻酔が覚めるのを待つことにした。
このときに食事を摂った記憶がある。
その際に父が「ちょっとおかしいな」ということを呟いた。
しかし誰も返事はしなかった。

1時間後くらいであろうか母の意識が戻ったということで、自分たちは母と1分ほどの対面を許された。
父の心配をよそに、母は笑顔で自分たちを迎えた。
二言三言の会話もできた。
家族は、このときにまさに「一息ついて」医師にお礼をいって帰宅した。
病院から自宅までは、渋滞がなければ車で40分ほどの距離である。
男3人の家族は久しぶりに笑った気がした。

自宅に到着すると、父は着替える前に冷蔵庫からビールを取り出し栓を抜いた。
そして、お膳にグラスとビールを置いて、一杯目のビールを飲み干した。
二杯目のビールを注いでいるとき電話が鳴った。
時刻は9時を大きく回っていたと思う。
時間からして親戚の者が心配して電話をしてきたものと推察された。
父が出た。

我々の意に反し電話は病院からであった。
父の顔色がみるみるうちに変わっていった。
父は静かに電話を置くと
「どこかから出血が始まったらしいので、もう一度お腹を開くということだ。」
(つづく)

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