人の身体はテセウスの船か

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「テセウスの船」という神話がある。
古代ギリシャでテセウスがクレタ島から帰還した船をアテネの人々がずっと保管していた。
年月が経つにつれて木製の船は朽ちてくるので、部分的に新しい木材で修復しながら保存をした。
その結果、ついにもとからある木材がすべてなくなってしまう。

この船をテセウスの船と同じものとして捉えていいのか、というパラドックスである。

しかし、よくよく考えてみれば私たちの身体もいわばテセウスの船と同じである。

人体の細胞は器官によって異なるが数ヶ月~数年ですべてが入れ代わるといわれている。だが、入れ代わる前の身体を「別の身体だ」と捉える人はまずいないと思う。

その理由は簡単でたとえ脳細胞を含む細胞がすべて入れ代わろうとも、自分の記憶が明らかにそこに存在しているからである。

そして、そこには物質的に認識したもののみならず無形のものや感情、質感に至るまでの活動がすべて含まれているといって良い。それを精神やマインドと名付けているが、物理的な人体が存在していないと生物学的に生存している間はそれを認識することができないのであろう。

DNAという設計図によって私たちの身体はテセウスの船と同じように修復され続けているが、代わりの細胞が機能を果たさなくなったときに生物学的な死を迎える。

そのときにマインドはすべて消え失せるのだろうか。
あるいは違う次元に生き続けるのだろうか。

テセウスの船も物質に焦点をあてるからパラドックスに入ってしまうのであり、テセウスの偉業に焦点をあてれば船がもとのものでなくなってもそれはいつまでも存在することになる。

科学を追求するのはとても面白い。

だが、論理や物質にだけフォーカスした思考ばかりをしていると頭が「科学バカ」になっていってしまい、なんだか知らないけどとても大事だと思われる「感性」を隠してしまっているように思えてならない。

最初からあったのは物質的なアプローチだけではなく、たぶん「形がなくても残るもの」を大切にする心だったのではないかと感じる。

まあ、アインシュタイン氏にしても湯川秀樹氏にしても本当にすごい科学者は、論理の前に創造力だというし湯川氏の随筆はものすごく芸術性に富んでいるので「科学」というカテゴリーも多岐に進化していくものなのだろうけれども。

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