水泳帽に黒ライン3本(感動的想い出シリーズ)5<完結>

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水泳の5級進級試験での秘密を打ち明けようとしたとき、母は、嬉しそうに水泳帽に2本目の白ラインを縫い付けてくれている最中だった。
それを見た私は、ついに秘密を誰にも打ち明けることができなかった。

子どもの頭、ことに内山くんの頭は著しくおめでたくできているので、これほどまでに心に引っかかる経験はしたことはなかった。
ただ、何をやっても人よりも習熟が遅い私がプールでは人並み以上の成績を上げていることに喜んだ母が「次は25m(4級)だね。ちょっと頑張ればいけちゃうと思う」と、次の目標に目をむけることを言ったので、若干気持ちが軽くなったのを憶えている。
「4級が取れれば心のひっかかりもとれるかも」という漠然とした期待も抱いた。

だが、そのとき強烈に内山少年の脳裏をよぎった気持ちがあった。
「もう二度とこんな思いはしたくない。何が何でもしたくない、嗚呼、したくないっ!!」
というものである。

そして
「4級からは絶対にごまかさずに余裕で合格をしてみせる、嗚呼、してみせますとも!!」
という決意をした。

それからというもの、参加して良いプールの時間はすべて参加をした(これは6年生の終わりまで続いた)。今のように学校以外で水泳を学べる場所も少ないので、集中して距離と時間をのばした。5級合格のときに私を引き上げてくれたおもしろい先生も、さらにおもしろく技術を教えてくれた。

その結果、最年少で1級(水泳帽に黒ライン3本)を合格するに至ったのである。
ちょっと威張らせてもらうと、1級の試験も余裕だった。
1級を受ける先輩児童は、ほとんどが平泳ぎを100m、クロールを50mという選択をしたが、私はクロールで100mに挑んだ。
潜水は15mで合格だったが、25mプールをターンして33mほど泳いだ。

夏休みのプールではなく、授業のプールのときに黒ライン3本の帽子をさっそうとかぶっている内山くんは、さぞかし羨望の眼差してみんなから敬愛されるだろうと思っていた。が、現実はそんなわけはなく「そうでなくても面倒くさい内山がもっとうざくなっただけだった」という話は、この際、置いておくことにする。

ちなみに、母にはこの秘密を打ち明けられることなく私が22歳のときに亡くなった。
父も、ここ数年認知症を患い専門の施設でお世話になっていたが今年(2020年)2月に他界した。
1年ほど前から、私のことも誰だか判別がつかない状態になってはいたが、いつも穏やかにニコニコしていた。
亡くなる2ヶ月ほど前に、父の部屋で二人きりになるときがあった。
父は、ベッドに横になっていたが、ついにこの秘密を打ち明けた。
そして、53年ぶりにごまかしたことを謝った。
父は、5級に合格したときと同じ顔をして微笑んでいた。

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