一分の救い(ノンフィクション風の物語)⑧

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病院に親戚が続々と集まってくる。
順番に母の枕元へ行き、涙ながらに別れのことばを発するのだが、相変わらず私には「その時」がくる実感が湧かなかった。
意識はないのだが、顔色は苦しんでいるときと比較してもむしろ良くなっている感じも受けた。
程なくして(時間の感覚が失われているのでひょっとしたら長い時間だったかもしれないが)、医師が「病状が安定してきた」と告げにきた。
そして「峠は越えたように思う」という。
私にはただ「眠っている」ように見えた。
「もし眠っているのなら、数カ月ぶりに見る安眠状態だ」とも思った。

長く滞在していた親戚の人たちは複雑な表情で帰っていった。
この出来事と大きな空気感の変化は、新たな覚悟を生まれさせることになるが、なぜかある種の期待も芽生えてくる。
生気を発している状態で、少なくとも苦しんではいないからである。

大人数が取り巻いていた喧騒から、また、家族だけの時間が訪れる。
私たちは、折に触れて母に声をかけにいった。
そして、この日のうちにその時は訪れた。
父が母の名前を呼んだとき、母の眼がかっと開いたのである。
母は周りの様子を眼で追って数カ月ぶりに私たちに笑いかけた。
そこには苦しんで朦朧としているのではない日常的な母の姿があった。
私は「2度目の手術後、長い長いトンネルを抜けてようやくいま目が覚めたのだ」と実感した。

健康な状態には勿論程遠いが、母の奇跡的な回復がここから始まった。
(つづく)

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